現在(2007年)、配布されている「Re-Ja」リージャというフリーペーパーの「仕事人夢追人」のコーナーに掲載されました。
「仕事人・夢追人(ゆめおいびと)」 ツリーサージャー 盛田直樹(34歳) 誰でも悩んだり迷う時期はある。だけど自分を信じているから軸はぶれません。 ツリーサージャー=『樹木外科医』。木のお医者さんであり、メンテナンスする人。人間と同じで、木もきちんと健康管理できていれば、治療の必要はない。「日々の世話をする人と思っていただければ。造園業者と樹木医の間に位置しているイメージです。たとえば台風で木が隣家に倒れたらとか、このごろ木の様子がおかしいけどどうしたんだろう、という悩みや疑問を抱えている方は多いんです。そんな時にどう対処するか、治療や剪定、植え替えなど、周囲の環境や生活に合う一番いい方法を、お客さんと一緒に考えていきたいですね」。だが、実際は伐採の依頼の方が多い。「木を看る一方で、木を切る。この矛盾の中で、バランスを取れずに葛藤することもありますよ」と正直に打ち明ける。だが、木を看る=善、木を切る=悪、と簡単に言えるだろうか。私たちは毎日、誰かが殺した命を頂くことで生きている。一面だけで物事を判断することはできない。
「それに、木を切っても切り口からまた新しい芽が出る。木のライフサイクルを知っているから不安はありません。もちろん、切りすぎは良くない。大切なのは木と人間が、うまくバランスを取りながら共存していくことです」。今の自分は葛藤を抱え、人生の低迷期にいるという。それでも、穏やかに澄んだ瞳の奥に、揺るぎない強い意志が見え隠れする。この仕事を選んだこと、これからも木と関わっていきたいという気持ちを信じているからだろう。盛田さんは木と向き合うことで、自分と向き合っているのかもしれない。「50代、60代になったとき、樹木と共生していくための名スペシャリストと呼ばれたい」、盛田さんの夢はそう遠くないところにある。 「この仕事を始めて、木にも個性があると知りました。木と人、ではなく命と命のやり取りなんです。同じ生き物同士、対等に接することを心がけていますね」。 盛田さんが木に触れるとき、必ず行うことがある。お酒と塩で木を清め、静かに合掌する。一瞬、静寂と神聖な空気が流れた。 切り落とされた枝は腐らせ、土に還る日を待つ。根は残された。やがて成長し、いつか枝葉を広げるだろう。命は次の世代へ繋がって行く。
2005年(平成17年)5月15日、マンション通信誌月刊ウェンディさんの「この人に注目」のコーナーで掲載されました。
・「樹医とは」 最近ではようやく世間で認知されるようになってきたせいか、獣医さんと間違えられなくなってきました。これは、さまざまな団体や協会(日本樹木保護協会、日本樹木医会、日本樹医会など)が樹木治療の資格制度でたくさんの人材を育成していることと、市民の環境意識の高まりによるものだと思います。樹医とは、読んで字のごとく木のお医者さんのことですが、日本樹木保護協会の先駆者となった山野忠彦先生が、さまざまな研究、試行錯誤を経て、自らをそう宣言した言葉が始まりです。自然とのつながりを失ってしまった私たちの生活を見つめなおし、痛んでいる木を一本一本治療することから始められた山野先生。その生涯をかけて治療された樹木は1600本以上にも登ります。現在、樹のお医者さんを目指す樹医や樹木医の方々は、そんな山野先生の志に共鳴してこの道を歩んでいるのだろうと思います。
・「樹医をめざすきっかけ 」 あらゆる物に霊が宿るという感覚は、私にとって子供のころから自然な感覚でした。太陽や月、風や水に草木達、言葉を交わせないもの達にも命があり、魂が宿っていると思っていました。しかし、年を重ねていくたびに、どうも周りのみんなはそう感じていないと気付いたのです。うまく説明の出来ないこの感覚が解決されたのはサラリーマンになってからでした。一冊の本との出会いが人生の道を変えたと言ってもいいでしょう。「ローリングサンダー」と題されるその本では、一人のネイティブアメリカンが自然と共に生きてゆく知恵を語ってくれます。眼に見える世界ばかりでなく、愛することや信頼すること、祖先や与えられる食べ物に感謝することなど、日常にある自分の心の状態が世界に対して、どれほど影響を与えているのかが書かれてありました。本を読んでいるとき、自分の血が沸き立つ思いだったのを覚えています。サラリーマンの道を歩んでいく自分の姿にかなり違和感があった私は3年後、自分を無職の状態に放り出しました。いままでの自分をリセットして静かに物事を考えたかったのですが、それには特別な場所が必要でした。自分が一体何をしたいのか、どうなりたいのか、自分の役割とはなんなのか。そんなことを考えるのはいつも、樹がうっそうと生茂った神社、鎮守の森でした。そういった特別な場所にたたずんでいると、こういう場所を護っていきたいという気持ちが芽生えてきました。自分が精神的に成熟し、自然とのバランスを取り戻した生活を営むためには、こういう場所が必要不可欠なのでは、と思いました。そしてそれは自分にとって良い事であり、大勢の人にとって良い事で、たくさんの命たちのために良い事の様に思えたのです。しかし、こういう場所に携わる仕事につくと言っても、なかなか現実味を帯びません。神主さんでも違うし、宮大工さんとも違う・・・などと考えていると、寄りかかっているイチイの巨木から、何か後押しされるような感覚を覚えました。何かはわかりません。家に帰ってからも悩んでいると、以前、雑誌で樹の治療をするおじいさんの記事を読んだことを思い出しました。それが樹医の山野先生でした。
・「樹医の仕事 」 よく、気功のような、東洋的な治療をイメージされる方が時々いらっしゃいますが、実際の治療は物理的なバランスを重視しておこなわれます。主に、国や県の天然記念物、保存樹木に指定されている木、社寺仏閣などの御神木、一般のご家庭にある先祖代々伝わる老木・名木から、庭木まで、自然林にある樹木以外はありとあらゆる樹木がその対象になると思います。対価を払ってでもその木を救って欲しいと望む方がいる限り、私達は活動できるわけです。しかし、この樹木治療の仕事一本で生計を立てている人は恐らくいないと思います。私も含めて通常、造園業や林業、大学の教授、役所の緑地公園課、植物園等の仕事を営みながら、樹医としての活動を続けています。理由として、一年を通じてこの仕事の需要がないことと、国や地方・一般家庭からの治療予算が少ないこと、それから樹木の病気や痛んでいることが判らない、もしくは気付く人が少ないこと、などが考えられます。
・「現場での樹木治療」 全体のバランスを整えるというだけでは抽象的過ぎますので、具体的なお話をします。例えば家の増改築などで、夏場に庭木の根を傷めてしまったとします。葉っぱの裏側からは蒸散と言って水分が吐き出されていますが、根が切れてしまったために思うように水分が上がってきません。しかし葉は蒸散を続けるため、このままでは水分が足りなくなって葉が茶色になり、枯れてしまいます。こういう場合、根を傷めてしまったらそれに見合う枝葉を剪定してあげるということをします。そうすることによって需要と供給のバランスが整うのです。こういった意味でのバランスを整えるために樹医さんたちは剪定をしたり、木が腐っている部分を取り除いて消毒したりする外科的な治療から、不足している肥料を与えたり、ホルモン剤投与などによる内科的な治療も行います。害虫の予防や駆除、排水の悪いところは土を入れ替えて土壌改良し、環境を改善したりもします。その場所に何百年も鎮座してきた樹木と接する際には、よく注意しなければなりません。保存するためにとたくさん肥料をやって、安易に支柱をしてしまう人がありますが、これはかえって折れやすい枝を作ってしまう可能性があります。対象となる樹木の歴史的背景や環境、それから将来を考え、緩やかな成長を促すことが必要な場合もあるのです。樹木には、その場所から動けないために、さまざまなストレス(光、風、水、重力など)を感知して環境に適応していく能力があります。これらを考慮し、決して過保護な状態にならないようバランスを整えていきます。そして実際に治すのは樹木自身であって、我々が出来るのはその治癒していく環境を整えるだけなのです。
・「TREE SURGER 」 西洋にある資格制度ですが、直訳すると樹木外科医ということになります。ツリーサージャーは伐採や剪定をおこなう山師や造園業者と、樹医や樹木医の技術を併せ持った職業と言っていいでしょう。高所作業車やクレーン車、足場が設置できない場所でも、ロープワークやツリークライミング技術を駆使して、樹高40メートル以上でも剪定や外科的な治療を施すこと、また倒木や枝折れの危険性を査定し、適切な処置を行うことができます。英国では国土の95パーセントも樹を切り倒してきた歴史があります。そこから学んだ彼らは樹木を増やし、共生する試みを始めています。自ら海外に渡って学んできた、これら木を伐る為の技術と樹木と共生するための技術は、これから日本の山林や市街地にある樹木にとって必要不可欠なものと感じています。
・「失われつつある樹木信仰」 一本の巨木を前にすると、その存在感に圧倒されます。はるかな時間を積み重ねてきた命が、目のまえにドーンと存在すると自分の命がちっぽけなものに感じられ、そこに自分を超えたものの存在を感じてしまいます。それは木霊なのか神様なのか未だにわかりませんが、彼らはこれまで、どれほど困難な状況を乗り越えてきたのでしょう。巨大な台風や落雷による火災、日本の歴史においては年貢や飢饉の時、家族の生活のために娘さえ売らねばならなかったような時代、合祀のための伐採や、戦時中の木材供出。この一本の巨木さえ伐ってしまえば、村人みんなが救われたはずです。しかし今、目のまえには悠々と枝を伸ばしている巨木があります。先祖の人たちはそんな状況でもこの樹を伐ったりしませんでした。どうして伐らなかったのでしょう。人類がアフリカから誕生して、世界中に拡散していく過程で、我々の祖先はその土地で生きていくために様々な進化を遂げました。あらゆる物に霊が宿り、あらゆる物に感謝を捧げる。そのころ、生活の中には自然に対する畏怖や感謝があったと思います。その土地にある神聖な場所や御神木というのは、祖先の人々の精神の拠り所のようなものだったに違いありません。現在の私たちは自然に対して消費や利便性だけを求めて、謙虚さを失ったような振る舞いをしているようです。村人たちが残してきた御神木が、ある時、大きな工事の計画予定地に入ってしまう、よくある話です。何百年もその場所にいた木はおそらく伐採されてしまうでしょう。これが今現在の私たちの生活です。どこで道を踏み違えてしまったのでしょうか。仕事をしていて、時々私のほうから質問したくなるようなことがあります。どうしてこの樹を救いたいと思うのですか?あるいは、どうしてこの樹を伐ってしまおうと思うのですか?
・「暗中模索する樹医のたまご」 矛盾しているようですが、私もそういった伐採業務をすることがあります。(もちろん、理不尽な伐採はお断りしています。)実際の話、伐採にいたる状況はさまざまで、公共工事などの伐採から、倒木寸前の危険木を伐採したり、御神木を保護するために他の木を伐ったりすることもあります。そういう仕事をお断りして治療だけに専念することもできるでしょう。しかし、それではどこか片手落ちのような気がしてなりません。物事のある一面だけを取り上げて持続可能な社会を築いてゆくのは難しいと考えているからです。例えば、私たちが毎日食べている食事は、誰かが殺した命を頂いています。生活をしていく上で、牛や豚を治療する獣医さんだけを選んで、精肉工場で堵殺をする人を選ばないわけにはいきません。「木を治療する」という言葉は、ときに、必要以上に良いイメージを持って一人歩きしてしまいます。私たちには、製材された木材が必要不可欠ですし、生きている彼らもまた必要だと思うのです。私自身、命の死の部分にも眼をそむけずに関わることで、内側から何かを変えていけるのではないかと考えています。私たちの無遠慮な自然への振る舞いは、本来生活の中にあった命のやりとりが、あまりにも希薄になり、生と死に無感覚になって現れてきているのではないでしょうか。一本の樹を治療する過程で学んだ自然の絶妙なバランスは計り知れません。私達はどんな微生物とも切っても切れない生と死の命の繋がりの中で生きているような気がします。巨木を前に祈る祖先の人たちは、そんな命の繋がりをいつも感じて暮らしていたのだと思います。
2004年(平成16年)8月15日(日曜日)「Fonte」という新聞で掲載されました。 自然は多様なほど安定する 木のお医者さん(自称まだ医者の卵)、盛田直樹さんにお話を伺った。木のお話をうかがいながら、その生命観やものの見方は、とても不登校や子供のことにつながることだと感じた。
――樹医になる前は何を? 東京で6年ほど、アクセサリーの会社で営業をしていました。営業成績を伸ばしたりするのはゲーム感覚のようで楽しかったんですが、自分のエネルギーをそういうことばかりに注ぎ込んでいるのは、どうもちがう気がしていました。 仕事で出会う職人さんたちは、けっこうサバサバしていて気持ちよかったですね。自分のスタンスで、いいものをつくろうとしていた。自分も、なにか手作業をしたいなと思っていました。 それで、自分のことを考えたいと思って、会社を辞めて半年くらい休んだんです。その間は、家の中で本を読んでばかりで、沈殿していました。毎日、部屋の中にいると、自分がほんとうに生きているのかどうか、無感覚になってくる。ほんとうに血が流れているのかなと、ナイフを腕にあててみたりもしました。それは、死のうとしているのではなくて、生きている実感が湧いてこないからなんです。寝る時間が1時間ずつズレて夜型になっていく。毎日、同じことのくり返し。日常がおそろしかったですね。ああいう時間には戻りたくないですけど、でも、ものを考えるには大切な時間だったと思います。
――何か転機になったものがあったんですか? インディアンのローリングサンダーの本ですね。それまで自分の抱えていたモヤモヤが何だったのか見えてきて、自分の精神を支える部分の裏づけがとれたみたいな感覚がありました。 何をしたらよいかなんて、まったくわかりませんでしたが、その先に進む不安はなくなりました。進めば進むほど、それを後押しするような現象があって、それを信じると、その方向に道が開けてくる。
――家族とはどのような? 家族やまわりの人は「わけわからない」みたいな感じでしたね。おふくろは、僕が中3のときに死んでしまっていて、親父とは、公務員の職を蹴って、東京に行ったときから仲がよくなかったですね。だけど、わからなくても愛情があるということが大事なんじゃないかな。わからないから排除するというのではなくてね。親父は7年前に自殺してしまいましたが、両親とも、どこか上のほうで見てくれているなという感覚は、ときどきあります。
●神社の暗さ ――神社の存在も大きかったとか? ローリングサンダーの本に「自分がどこにいるとまわりの自然や人間にとけ込んだと感じるか、それを見つけることから始めたらいい」と書いてあって、故郷の青森の神社を思い出したんです。高校の裏に神社があって、よく昼寝をしていたんです。神社の暗さは怖くて、でも、そこにいると安心してくる感覚があった。何か考えているとカラスが飛んできたり、自分の思考していることに動物が反応したり、そういうことが、なんとなくありました。 神社は、自分のことを考えたり、方向性を見定めたり、ショックなことがあったりしたとき、自分のバランスを整える場所でした。 エネルギーの高い場所というのはあるんだと思います。ずっと昔から人間が使ってきた、そういう場所とまわりの流れみたいなものは、変えないほうがいいんじゃないかな。
●ダイダラボッチ ――青森で生まれ育ったことは大きいことですか? 大きかったと思います。子どものころ、おじいちゃんやおばあちゃんが、生き物を殺したら、誰それの生まれ変わりだからダメなんだとか、悪いことしたら山からダイダラボッチ(山の神さま)が降りてくるぞとか、親父が木を切ったとき、次の日にアタマを大ケガしたら、親父の着てた服を拝みながら燃やしていたり、つながりはまったくわからなかったですが、そういうことには、何か意味があるんだろうと思っていました。 インディアンの本を読んでから、蝦夷であるとか、自分のルーツを考えるようになりましたが、結局は、それを、いまの生活にどう投影できるかですよね。
――そういう感覚は、なかなか通じなかったのでは? 孤独でしたね。他人にどう説明していいかわからない。損得や効率ばかりで判断されると、とまどってしまう。だけど、方向性が見えなかったり、何か決めようとするとき、僕は「イヤだ」という感覚のほうが、「好きだ」という感覚より強かったですね。イヤだという感覚は、わりと肯定的に考えていました。それで、消去法で樹医になったようなところがあります(笑)。 ――樹医になろうと思ったきっかけは? 以前、雑誌で読んだ山野忠彦先生の記事を思い出して、日本樹木保護協会に連絡してみたんです。実際、始めてみたら、自分にピタっとくるものがありました。 治療に関わるようになって、木の生命力を学んでいくと、自分には何もできないんじゃないかって思えてきました。私たちはバランスを整えているだけで、治っていくのは、木自身です。人間だってそうですよね。医者が傷を治してくれるわけじゃない。何百年も生きている木の生命力は、とても畏れ多い。でも、治療は楽しいですね。
●木は死なない ――木は死なないという話を聞いたことがあります。 環境が変わらなければ、木はずっと生きる可能性があります。害虫などの発生で、急激にバランスが崩れると、死んでしまいますが。 しかし、何が何でも木を残そうというのも、いろんな壁にぶつかります。たとえば台風対策で、木を支柱でがんじがらめに固定してしまうと、逆に木を弱らせてしまうことにもなりかねません。不必要な延命治療のようにも思います。それに、考えてみると、神社に1本だけ年代のちがう巨木があるというのはおかしな話ですよね。本来は近い年代の樹木がたくさん折り重なって形成されるのが自然の森です。それはやはり、その土地の人が昔から鎮守の森を護ろうと、節度あるつながりをもっていたからだと思うんです。それが、戦争のとき合祀などの影響でバンバン伐られてしまったのは、なんとも知恵がないことですよね。
●多様なほど安定 ――治療で大事なことは? なかには患部だけをみて、そこばかりを治そうとして失敗している例も多々あります。 一本の木を治療するには、まわりの環境を考えないといけません。まわりの植生が生きる要素になっているわけですから。自然は、多様であればあるほど安定します。何かの衝撃があっても、いろんな種類があることで、生命がつながっていく。もし一種類だけだったら、全滅してしまいます。 人間の社会も、いろんな性格の人、多種多様な人がいることで安定するんだと思いますね。 一本の木をちゃんと診ようと思えば、3〜5年はかかります。その木の歴史も知る必要がある。たとえば何百年も生きている木は、地下水脈とも深く関わっていますから、周囲で開発工事なんかがあると、じわりじわり木の調子が悪くなってきたりするんです。いろんなことが複合的に作用している。だから、その木やまわりの歴史を地元の人に聞くというのも、ウェイトの高い仕事です。木の成長速度はゆっくりですから、人間の環境変化の速度についていけないんですね。
――木の霊性については、どのように? 木に宿っている霊は「いい人」みたいに思っている人も多いですが、けっしていいヤツばかりじゃないと思うんですよね。いわば「もののけ」の類ですから。治療しようとすると「触るな!」って感じの木もいます。チェーンソーがパシーンと飛んだり。そういう木には触らないほうがいいんでしょうね。イヤだと言っているんでしょうから。時間をかけて信頼関係を築かないと。
――子どもや学校については、どのように? 学校ではなくて楽校をつくらないと、と思います。いまの学校は、試験に受かるためとか、サラリーマンを養成するための予科練みたいになってしまっていますよね。 ただ、自分の生きていく幅を広げていくことは大切で、すぐに役に立たなくても、蓄えておくことで、後から役に立ってくるということはあると思います。それが学校でなくてもいいと思いますが。。 例えば、木の治療をしている現場を、子どもに見てもらう事によって、何か新しい力や発想が生まれてくるかもしれません。学問の行き先は自分とみんなを幸せにする方向であってほしいです。
――最後に一言僕も、自分がおかしいんじゃないかと思って、精神分析の本なんかを読んだこともありますが、ああいう本は、とても明晰なんです。が、そこからは答えが生まれないと思います。そういうところで手をさしのべてくれるのは、「見えない力」、例えば「もののけ」かもしれないですね(笑)。 ――ありがとうございました。(聞き手・山下耕平、石井志昂)
2002年(平成14年)5月27日(月曜日)読売新聞「学びきらり」のコーナーで紹介されました。 「何が学びたいのか、何をしたいのか、ずっと探していた。今、ようやく見つけた気がしています」 盛田直樹さん(30)は、穏やかに語りだした。高校を出て営業マンを経験後、6年前、全国でも数少ない、樹木を診断し、治療をするという仕事に出合ったという。「学ぶことの意味」を考えるこの欄。今回はちょっと変わった仕事の人に会いに行った。
盛田さんは日本樹木保護協会(大阪府交野市)に所属。会長の山本光二さんを師匠に、スタッフ6人と全国の社寺や公園などをまわり、老木を生き返らせ、長生きさせてきた。 クスノキやイチョウ、マツなど約100本の治療にスタッフとして携わった。幹や枝の腐朽し枯れた箇所を除去し、消毒して傷口を覆い、根気よく回復を待つ。少しずつ数年をかけて、新しい表皮や枝が伸び、勢いが戻った木の喜びが伝わる。「何百年も木を守ってきた人たちの思いも身に染みて、涙が出ることもありますよ。」話に熱がこもる。
たまたま雑誌で、協会をつくった第一人者の樹医、山野忠彦さんの記事を読んだ。「この人に会えば、自分の方向性が見つかるかもしれない」と、協会の門をたたいた。山野さんは引退していたが、一番弟子の山本さんが受け入れてくれた。当時、仕事はせず頭の中だけで悶々と悩んでいた状態。青森県五戸町で育ち、上京して装身具メーカーの営業を6年ほど続けたが退職した。 高校時代から「何かが違うな」と思い続けていた。学校での勉強に興味がわかず、一方で何を学びたいのかもわからない。迷いの中で、「社会に出て自分の足で立ってみよう」と就職を選んだものの、商品の納期に追われ、厳しい競争の中で慌しく日々が過ぎるばかり。独立して店舗を持つことも考えたが、「本当にこの仕事が好きでやっているのか」と、違和感はぬぐえなかった。
会社を辞め、何もない状態に自分を置いてみた。周囲を眺めると、「しんどそうな顔をして働いている人たちが、なんて多いんだろう」と思えた。「生活のためだからと割り切り、自分の仕事への思いを振り返る余裕がないのかな」と人に話すと、「君は甘ったれている」と批判もされた。 「それでも、僕はもっと心地よく働ける何かを探したい」。こだわり続けた先に、樹医という選択肢があった。森の中で遊び、「山の神様」を信じて育った故郷青森を思った。「人間が自然と共に生きていこうとするなら、神社や聖地に拠り所がなければいけない」そう直感していた。「この仕事なら」と、自然に引き寄せられていった。 樹医といっても、巨木や老木の治療は不況で少なくなり、仕事の大半は植木の手入れなどの造園業。「生活は不安定ですが、学びたいという意欲はどんどん強くなって」と笑う。アメリカのセコイアやメキシコの糸杉など、世界を代表する巨木4本をバックパックを背負って見に行った。来年一月には、樹木医学の進んだイギリスの専門学校に留学する予定。造園には数学が、留学するには英語がいる。学ぶことは限りない。 「いつか、学校で子供達に教えてみたいんです」。盛田さんの目が輝いた。
子供たちの生き方には無限の可能性がある。だが、実際に様々な職業に携わる人たちに触れる機会は少なく、イメージしにくい。「例えば、木のお医者さんという仕事もあるよと知らせることで、子供たちに考えるきっかけや将来の選択肢が一つ増えればいいナと思って」 盛田さんが抱いてきたのと同じ迷いや悩みの中にいる子供たちが、彼と出会い、触れ合う機会があればと願っている。